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震災における「価値観の違い」

人間関係の根っこです。

ふだんご夫婦や男女関係を扱っているため、よく「価値観のあう人と結婚したいわ」「彼女とは価値観があわないんだよね」と耳にします。離婚理由として一番多く挙げられるのも価値観の違いです。
夫婦、家族は社会の最小単位であるため、さまざまに顕著です。

この震災では、Twitterやブログのコメント欄だけでなく、学校や職場、地域といったリアルな人間関係でも震災の話題をめぐってときには酷い罵り合いが起こっています。

「被災地の人がかわいそう」との主張に共感する人があり、かわいそうという意識は上から目線だと反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「現地へボランティアに行こう」との主張に共感する人があり、ボランティアは自己満足だと反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「寄付してあげよう」との主張に共感する人があり、してあげるという意識は間違っていると反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「被災地から遠くの人は日常生活を送ろう」との主張に共感する人があり、わざわざ日常生活を送ろうと声高に言うのはおかしいと反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「ペットも助けてあげて」との主張に共感する人があり、ペットの命より人命救助と反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「外食も支援のうち」との主張に共感する人があり、外食で美味しいものを食べるのは被災地の人に失礼だと反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「テレビを見るのが苦しい」との主張に共感する人があり、テレビを消せないおまえが弱いと反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「Twitterは有効な情報だけ語れ」との主張に共感する人があり、有効か無効かを誰が決めるのか反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「ブログでは明るい話題を」との主張に共感する人があり、無理から明るくするのは不自然だし被災者に失礼だと反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

「ネットは自意識のたれ流し」との主張に共感する人があり、書くことで気持ちが落ち着くのであればそれでいいし嫌なら読まなければと反発する人もあり、反発は過剰反応と責める人もあります。

ーーあらら、書き始めるときりがないですね。まあ、上記の大半はコピペですけど。(文章を書くのにコピペはいかんと言う人もあり、伝わることが大切だと言う人もあり、、、やめておきます)

いずれにしても、主張と共感と反発が繰り返されています。
被災地被災者への思い、寄付義援金への考え、ボランティア意識の違い、節電の意味、外食やコンサートなど消費行動についてなど、それぞれについて主張と共感と反発が繰り返されています。これからもネットとリアルの場において繰り返されるでしょう。

ときには友人に対して「おまえがそんな考えのヤツとは知らなかった、絶交だ」となり、恋人が「こんな時だからこそ楽しめないおまえは考えが浅い愚かな女だ」と責めるかもしれませんし、妻から夫に「寄付を優先できないアナタって冷たい、もう別れる」となりかねないほどです。

それら意見の対立の根っこにあるのは「共感能力の有無」もありますが、さらに「価値観の違い」が大きく作用しています。(共感するのがいい、共感できないのがだめだというのも個人の価値観ですから)

交わす話題が原発や放射線被害になると、さらにデリケートな要素が絡み合いますし、現政権や選挙にかんする話題では明確な対立構造も生まれます。逆に、今は自衛隊の活躍に国民全員が感動しているようにみえますが防衛あるいは憲法九条が緊急時棚上げにされているからでもあります。(注)私は敢て原発や政党、防衛を論じることを目的としてはいません。今起こっていることを列挙したのみです。

長く離婚相談を受けてきて2万人以上の人たちの話を聞いてきた私の立場から言えば、「夫の浮気を撲滅せよ」と「原発は廃止せよ」は、とても近い意味として聞こえます。(かといって、私自身が浮気を推進したり原発推進派という意味ではありません。ただ、起こる事象と印象を書くのみです)

価値観って、そういうものです。
個人が生まれもった資質に育った環境、受けた教育(親の考えや学校教育、企業内教育等)、また、さまざまな経験を経てそこから導きだされるのが「個人の価値観」です。それらを五感(視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚)で感じ取り、「テレビCMが耳について不快」「遺体搬送を見るのが辛い」「あなたの考え方は間違っていて気持ち悪い」とつながっていくものです。原発報道や総理の言を信じるか信じないかも個人の価値観が決めています。

なんでもかんでも価値観なのか、いいかげんにしろと思われるかもしれませんが。
そうなんです。すべて価値観のなせる業です。
自分の考えが正しく、相手の考えが間違っていて、正しく情報を受けとることのできない人に伝えなければならない(極端にいえば相手の考えかたを改めさせなければ気がすまない)という価値観を持っている人もいます。

この震災では、個人の持つ価値観があらわになっているからこそ、できればそこに凝り固まるのではなく少しだけ自由になって、人としての成熟を目指してみませんか。
自分自身の価値観だけに凝り固まっていると、人間関係が不自由になり相手を否定するだけでなく、ご自身もとても不自由になりかねません。

人それぞれの考え方があります。それを納得しなければならないのではありません。人それぞれの考え方があるんだなと受け止めるだけです。あなたの価値観を変える必要はありません。あなたが持っている価値観を大切にし、そこだけに囚われるのではなく少しだけ自分自身の価値観から自由になって、人の意見にも耳を傾けてみる。ーーあ、失礼。なにがなんでも人の意見を聞かなければならないものでもありません。耳を傾けることができなければ、自分は人の意見を聞くことができないんだなと理解する。それが人として成熟するということです。

ゆるりと焦らず、大人になって(成熟して)いきましょうね。天災ときには人災が起ころうが起こるまいが、人は自らの人生をまっとうしなければなりません。

ーーというのが、私自身の持つ価値観ですね(苦笑)

ーーと、「オチ」をつけて、読んでくださる方の気持ちにあまり負担をかけないようにってのも私の価値観です。
ーーと、文章を補足するのも、、、(以下略)

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コメント

ブログを読んで、少し楽になりました。
ありがとうございました。
私は震災の時ショックで体調を崩しました。
ですが、友人はどこか遠くの知らない国で起こった出来事くらいにしかとらえてなくて、憤りを覚えました。
価値観の違いだから、しょうがないと思ってはいるんですが…

投稿: 匿名希望 | 2012年1月13日 (金) 01時39分

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